『せっかくアレッポで実現した一時停戦を、長くつづける・・・』

<2016年10月25日(火)>
『せっかくアレッポで実現した一時停戦を、長くつづけることはできなかったのだろうか』

 「ひとつの映像が大きな波を起こすことがある」。「春秋」(161025)は、「地中海で溺死した男の子の写真で、欧州の国々はいまも、難民の受け入れをめぐって揺れている」。そして「アレッポで撮影された5歳の男の子が、血とほこりにまみれて、ぼうぜんとすわりこんでいる姿に、戦闘の残酷さに対して、世界の強い関心をかきたてた。せっかくアレッポで実現した一時停戦を、長くつづけることはできなかったのだろうか。」

 国、宗教、民族、言語など、様々な相違が対立を生むのか。大きな括りであった国が世界中で崩壊している。民族の独立がそれほど大事なのか、日本に住む者はそれがわからない。否、日本でも問題は起きているのではないか。米国でもトラブルが続く。大きな括りの中で少数派が犠牲になる。米国での人種差別はまだ続いている。日本での沖縄での土人発言はどうなのか。民主主義は多数決で決めては行くが、少数意見を尊重するはずだが、そうはならないのはなぜであろうか。弱き者、子供たちが犠牲になり、その中で生き残った者が敵を討つようなサイクルの状態はまだまだ続くのであろうか。(JN)