『「個人」「自由」「権利」……。こういう言葉に魂・・・』

『「個人」「自由」「権利」……。こういう言葉に魂をこめねばなるまい』<2017年10月7日(土)>
 「新入社員を過労自殺に追いやった電通の違法残業事件で、東京簡裁が同社に罰金50万円の判決を言い渡した」。これについて『春秋』(171007)は、会社と社会から考える。明治の文明開会、「societyを『社会』、companyを『会社』とそれぞれ訳したわけだが、当初は区別が曖昧だったらしい。さて時は流れ、会社の人生を送るのが日本人である。日本社会は会社主義。2つの言葉はいよいよ分かち難い。事件は政府や企業に働き方改革を促し、さまざまな取り組みが進む。しかし制度を変えるだけでは心もとない。ほんとうの変化をもたらすためには社会と会社ともどもの意識改革が不可欠だろう」と。
 (JN) 日本人は会社人間なのか。それは単に命令に忠実な民であって、主体性と個人的精神のない隷属的なであるり、会社組織人間ではない。私たちは、この生まれ育った日本の家、地域および学校などで、そのように育てられてきて、それを疑っていない。個人、自由および権利は、自分たちで得たものではなく、与えられたものゆえ、身になっていない。また、その個人、自由および権利のもとになる自立、倫理および責任を持ち合わせていないのではないか。会社における部下としての立場、役職者としての立場、それぞれに権利や責任があるのに、宙ぶらりんなのである。会社の利益のために長時間労働やハラスメントが発生する。自分たちが個々の人間であることを認識できていない。「春秋」が述べているように意識改革で言葉に魂を入れなければならない。改めよう。