『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて・・・』

<2016年8月9日(火)>
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く』

 畏くも国民は、天皇からの訴えを受けた。直接でもなく、ライブでもないが、天皇より国民一人ひとりに向かっての言葉であった。これを我々はどう受け取るか。「春秋」は「人間天皇の浅からぬ歴史があるのだ。へんに畏まらず、おおらかに自由に、その新たな可能性を論じ合えばいい」と。「天声人語」は「私たちは天皇の内なる個人に思いをはせてきただろうか。24時間365日天皇は常に天皇のままだと無言の圧力をかけてはいないか。いまさらながら終身天皇という役割の重さを思った」と。「筆洗」は「世論調査では、国民の八割以上が生前退位に前向きと聞く。議論を急ぎたい。お一人の悩みを抱える八十二歳の方がいらっしゃる。耳を貸し、その手を取ることは、不自然なことではあるまい」と。「余禄」は「両陛下がその身をもって作り上げた平成の象徴天皇像を次の時代へと受け渡せるか。投げかけられた問いに答えなければならないのは主権者である国民だ」と。日本国憲法には、ご承知の通り「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。主権者が自分たちにあることを認識しなければならない。只、為政者に丸投げするのではなく、天皇の声に対して一人ひとりが考えねばならない。そして、天皇について考えるとともに、自分たちの主権者をしての在り方を理解することが大事である。(JN)