広島と長崎で都市が丸ごと消えた。東京は焦土となった

(日経「春秋」2013/8/19付) 身近な人が亡くなると、まわりの空気の色がひとり分だけ変わる。別れの寂しさはやがて時が埋め、人の死を越えて残った者の関係が新しい均衡点に移っていく。時は移ろい、人は成長する。週が明けて8月も終盤に入った。帰省先や休暇から都会に人々が戻って来る。今年の夏の終わりは、もうそこまで来ている。大勢が一度に亡くなったとき変わるのは、社会の風景そのものである。戦争がそうだった。日本では広島と長崎で都市が丸ごと消えた。東京は焦土となった。個人の心の調整で何とか対応できるような出来事ではない。忘れられない、忘れてはならない夏である。エジプトの騒乱で死者が増え続けている。画面に映るのは憎悪と悲嘆にゆがんだ顔ばかり。まるで戦争と変わりがない。たった一人の自然な死にも、残った者を成長させる貴い力があるのに、なぜ人間は愚かな殺し合いを繰り返すのか。この国に新たな均衡が見つかることを祈りつつ、わが先祖に、いま一度手を合わせる。
(JN) 権力者が変わっても一般市民の疲弊した生活は変わらない。これでは、単なる頭の入れ替えである。これは相当にラディカルに国家を変えたはずの国でも、結局はその国の風土をなかなか変えられるものではない。日本は形の上では、圧倒的な勝者の米国の力で民主化がなされたが、国民はまだ一向に民主主義を会得していない。また、多くの死者を出したのに、私たちは忘れようとしているのではないか。私たち一人ひとりの命を大切にしなかった旧軍隊の仕業を忘れてはいまいか。戦争を美化するなかれ、戦争で亡くなった方々の無念を心に凝らし、平和な世界を築きあげていかねばならない。焦土の世界を繰り返してはならない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO58650880Z10C13A8MM8000/