「勝利を気高く祝い、敗北を気高く受け入れる」

(日経「春秋」2014/2/16付) 「世界一」や「勝利」の価値とは何か。森博嗣氏は、敗者から何かを奪い、彼らの不幸を見るのが楽しいのか。それでは精神が貧しい。自分をコントロールし、努力と鍛錬を続けられたことに楽しさや喜びを感じるのだろうと記す。選手が闘う相手は自分であり、舞台は競技場だけではないということだ。羽生結弦選手は「金を取って言うのも何だけど、悔しい」。思い描く演技ができなかったのだ。一方、ケガに悩まされつつ最後の大舞台に臨んだ高橋大輔選手は6位。「これが僕の実力。気持ちをこめて滑ることができた」と。プルシェンコ選手は、「最後までトライしたことはわかってほしい」と言い残し、競技人生に幕を引いた。「勝利を気高く祝い、敗北を気高く受け入れる」。国際オリンピック委員会のバッハ会長は開会式で、五輪の精神をそう語った。自分自身と闘い続けた選手たち。自らに与えるメダルがあるなら、何色だろう。
(JN) 自分自身との闘いは人生でもある。如何に集団の中で手を抜きせず自分を磨き実力を出しきるか。言うは容易し、それができる者が実力者であり、真の喜びを得ることができるのであろう。これは想像だ、闘いぬき、例えばオリンピックに出るほどの方々を見ての想像である。日々の努力の積み重ね、これがまず凡人にはできない。ルールを守ることさえできず、そのルールさえ知らずに、その枠を超える者が力ある者と勘違いしてしまう愚か者が多すぎる。特に若い人たちに、このオリンピックを見て感じてほしい、その選手たちの奥に秘める心の葛藤、誘惑に負けず積み重ねてきた努力を。私のようなルサンチマンがこう言うのは烏滸がましいが彼らを見てそう感ずる。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO66912890W4A210C1MM8000/