『招かれれば出席するのが、度量の広い、大人の対応・・・』

『招かれれば出席するのが、度量の広い、大人の対応であろう』<2018年1月25日(木)>
 安倍首相が平昌五輪開会式に行くことになった。これを『筆洗』(180125)は評価する。「おそらくは関西風の『行けたら行く』の立場だったかもしれない」(行かない)であったろう。「胸のうちはどうであれ、招かれれば出席するのが、度量の広い、大人の対応であろう。腹にすえかねることがあるのならば、思いのたけを訪韓時の首脳会談で面と向かって言えばよい。話し合えばよい。腹が立つからとあてつけがましくふて寝してみたところで問題解決の糸口はつかめまい」。
 (JN) 招待を受けても、大歓迎で抗議デモ等起きないならば、喜んでゆくだろうが、自己主張と文句ばかりを言う国に行きたくないのが心情である。そして、オリンピックを平和の祭典であるのか。そう疑問に持つ者は多いであろうし、安倍首相はどう思っていようか。実際にはそうではなかろう。でも、行くことになったのはなぜであろうか。そこには、野心やアメリカさんの後押しがあるに違いない。平和の祭典への参加という純粋な気持ちではないが、行くことが素晴らしい。この訪韓には反対意見の方が多いかもしれないが、様々な期待がここで盛り上がる。マリオ安倍は今度はなんであろうか。すぐに土管に入って帰って来てしまうのか。ゴールまで闘い抜くのか。国民への土産は何になろうか。まさか家族へのキムチだけではあるまい。