『私たちは何度でも悲しみ、怒らなければならない。・・・』

『私たちは何度でも悲しみ、怒らなければならない。71回目の原爆忌である。』

 また、暑い、熱い、篤い8月6日がやってきた。「天声人語」は本日を「私たちは何度でも悲しみ、怒らなければならない。71回目の原爆忌である」と記した。被爆した方々は高齢化し、体験を伝える人が少なくなり、「被爆者の高齢化にともない、8.6が何の日なのかさえ知らない若者が増えているのが現実だ」(春秋)が、日本はこの悲しみと怒りを世界に伝え続けなければならない。それは折り鶴の形もある。5月27日のオバマ米大統領の力も信じたい。「心の壁を超えるORIZURUの力を信じたい被爆71年後の広島原爆の日である」(余禄)。世界には、原子爆弾やその他、私たち人類を抹殺できるものを保有している。世界中にきのこ雲が現れ、それにより一瞬にして私たちは消え去り、二度と会えなくなる可能性がある。「八月六日は、過去の悲劇をただ悼む日ではない。世界には現在、一万五千発以上の核弾頭がある。私たちが何げなく口にする『またまた逢いましょう…』(ヴェラ・リンさん)という言葉の裏には今も、核の恐怖が張り付いている」(筆洗)。日本人は忘れるのが得意である。この原爆の日と式典は続いても、「悲しみと怒り」は消えないだろうか。そうならないために、私たちは各自、この日の意味を理解し、後世に引き継いでいかねばならない。では、今日を「暑い、熱い、篤い」と言う私はどうなのだろうか。(JN)