『6年後、東京五輪の高揚は去っている』

『6年後、東京五輪の高揚は去っている』

 参議院の任期は6年。この6年について、「春秋」(日経/16/7/11)はまず信長を想う。「織田信長安土城の建築に着手したのが1576年のこと。それから本能寺の変で自害、城も焼失した。この間、わずか6年余である」と。また「フランス革命でも人権宣言の採択後、急進派の恐怖政治を経て、ナポレオン登場までがほぼ6年だ」と。「21世紀は内外情勢の変化も、かつての動乱期なみにめまぐるしい。2022年までは続く議席だ。未来への水先案内役として課題と向き合い、チェック機能を果たしてほしい。我々も、瞳を凝らさねばなるまい。」

 6年後の日本はどのようになっているのであろうか。6年とは長いスパンである。その6年間の日本の立法のチェックをお願いた方々に、この選挙で私たちは何を期待していたろうか。もう投票が終わってしまったが、6年というものを皆さんはどうお考えだろうか。この6年間で、自分も6つ年を取るか、もしかしたら、もうこの世からいなくなっているかもしれない。80歳の当選者は86歳になっている。大丈夫だろうか。自分のことさえ自由にならないようになってはいないか。それよりも、日本はどうなっているのか。日本列島はどこかで、大きな地震の影響を受けていないだろうか。息子たちは戦線に送り込まれているのであろうか。原発は無事だろうか。税金はどうなってしまうのか。先送りされているものはまた先送りされるのだろうか。やはり、政府のご都合次第であろうか。参議院の良心は働くのであろうか。(JN)