『虐待に苦しむ子どもらにとって他家の台所やコンビニ・・・』

『虐待に苦しむ子どもらにとって他家の台所やコンビニの方が頼りになるようでは困る』
 「児童相談所は虐待と認定し、以後も生徒は児童養護施設に行きたいと繰り返し訴えていた。だが職権による保護は見送られ、生徒は自殺を図って意識不明となり先ごろ亡くなった」。「余録」(毎日新聞/2016/3/23)は言う。「保護を求めて生徒が駆け込もうとした聖域の扉を閉ざしてしまった事実には救いがない。およそ子どもを守るのを最大の使命とする機関にはあまりに無残な結果である」。
 子どもを守るべき組織が子どもを守れない。助けを求めているのに、それに応えられないのはなぜであろうか。その組織が我が身を守ることを第一にしているから、踏み込んでいけないのであろうか。決定者が責任を持てないからであろうか。今回の児童養護施設だけでなく、学校内のいじめからの自殺にしても、悲しくて悲しくて、やりきれない。関係ない者が口を出すなと言われても、これは我々皆が何とかしなければならない問題である。この問題は、それぞれに違った形で世界に現れている問題である。身近にそんな疑問が生じたら、皆が介入して行こう。それが空振りで非難されても良い。一人ひとりを大切にして行こう。(JN)