『「子ども食堂」、貧困家庭の子どものためだけでなく、地域の交流拠点として進化している』

『「子ども食堂」、貧困家庭の子どものためだけでなく、地域の交流拠点として進化している』<2019年7月2日(火)>
 「困っている人ほど助けを求めないことがある」。『余録』(190701)は続ける。「どうしていいかわからず、どこに何を求めたらいいかわからないからだ。・・・見えにくい『貧困』の中で、それが普通だと思っている子どもらを救おうと始まった民間のボランティア事業である。その『子ども食堂』が全国で少なくとも3718カ所になったと、NPO法人『全国こども食堂支援センター・むすびえ』が先月発表した。・・・独居の高齢者や仕事帰りの人が立ち寄る姿も最近は見られる。貧困家庭の子どものためだけでなく、地域の交流拠点として進化している。ひきこもり、虐待、依存症など、さまざまな困難を抱えた人々が集う『食堂』になってほしい」。
 (JN) 困っている仲間を支援するのは、その地域の役目である。しかし、現在、隣近所の人がどんな状態にあるのか、誰が住んでいるのかさえ分からない。否、自分がどんな状態であり、それが普通なのか、普通ではないのかもわからない。人生様々、抱いた普通がなんだろうか。世界の裏側まで見えるの世の中だが、大事な情報は閉鎖的だあるのか。「子ども食堂」などの活動は、地域活動とともに様々な団体が連携して継続的に必要がなくなるまで続くようにしたい。そのために、私たちは個々にできることがないか、考え、支援活動をしよう。小さい前進でやってみよう。進化しよう。

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