『「幽霊」さえも去る。それを忘却というのだろう。』

『「幽霊」さえも去る。それを忘却というのだろう。』
 「三月十日は東京大空襲。十一日は東日本大震災。『その日』が続く」と「筆洗」(東京新聞/2016/3/8)では、作家の奥野修司さんが東日本大震災の被災地で聞き集めた「幽霊」について紹介する。揺さぶられる。生きていくのが嫌になった夫の夢に現れ亡き妻。眠れず、一人で泣いている母親のところにやってきて壁や天井を走り回って『いたずら』をしてくれる、津波にさらわれた幼子がいる。その話も忘れてはならない悲劇と、心に傷を受けた人の物語である。そういえば大戦中の「幽霊」の話をとんと聞かぬ。どこへ消えたのか。「幽霊」さえも去る。それを忘却というのだろう。」
 父が亡くなって1週間ぐらいであろうか、母が「白い着物を着た人が来たんだよ」と私に話した。それは、父なのであろう。母には夫のことを思い、幽霊となって現れたのであろう。親不孝な私には父の幽霊が出ないが、一人考える時、父に話しかけていることがある。父の記憶は何れは、どんどん遠くなり、消えて行くのかもしれないが、父からもらった戦争の記憶は、次の世代に渡したい。過酷な軍隊生活、満州へいった方々の帰国、広島には何もなかった、伯父の帰国、闇市、・・・・。それぞれの家族に、悲劇の記録はある。それを簡単に葬り去らず、次の世代のために残して行こう。そして、自分の記憶の中の福島も。(JN)