『日常のありがたさと、そのもろさを思う』

『日常のありがたさと、そのもろさを思う』<2017年3月12日(日)>
 東日本大震災の記録として編んだ『悲愛(ひあい)』を「天声人語」(170312)は紹介する。「経験の衝撃は時間とともに弱まる。記憶はおぼろげになり、いつかは忘れられる。だからこそ時折拾い上げ、見つめ直したい。『ママがそばにいなくて寂しくないですか? お友達とは仲良く一緒に遊んでいますか? ちゃんとご飯は食べていますか?』『夢の中でもいいので会いたいです、抱きしめたいです……』。『私達がここで笑ってる時はきっとアナタも上で一緒に笑ってるんでしょ』」。
 (JN) 大船渡市を襲った津波がここへ来ていたら、どうなっていたのか。皆、それぞれのところで考えたであろう。今日それが現実になるかもしれない。思いたくなくとも、自然は私たちの思いと関係なく、地面、海、空気を動かす。その自然の動きを止めることはできない。従って、その後の現象を想像できることが必要だ。避難救助の行動は勿論、その後の辛いことまでの想像力を持つために、この『悲愛』のような記録を読むことが必要と思いませんか。平穏な日常生活はいつ終わるかわかりません。