『画面の向こうに行きっぱなしになるのか』

『画面の向こうに行きっぱなしになるのか』
 「インターネットを原則として禁止して1週間過ごしてみた。その体験記を朝日新聞デジタルで読んだ」。「天声人語」(朝日/2016/2/25)はスマホについて、「いつでもどこでもの手軽さがうらめしく思える。でも、過剰な接続を不健康と感じる人は少なくあるまい。そして、『折々のことば』の鷲田清一さんの著書に示唆的な言葉があった。「画面の向こうに行きっぱなしになるのか、現実の世界に『別の眼をもって還ってくるのか』を考えよ、と」。
 スマホとお別れをしたい。でも、一時である。自分が世の中から取り残されるような感覚を持ってしまう。そんなに急ぎでもないであろうが、また、調べる方法は他にもあろうが、スマホはとっても便利、自分の要求にこたえてくれる。また、ネットの向こうには、自分の好みの世界に入ることができる。手放すことができない。故障を起こしたり、電池切れになるとそれはもう慌てる。「待つ」ということがもうできない。もはや、主体は自分や人間ではなく、巨大なるネットの流れが主体である。この流れに流され、やがて沈み、溺れて行く。もうこの目は、画面と一緒になり、別の目をもって帰ってくるときは何時になるだろうか。(JN)