『「自分もこんな先生になりたい」と願う。忘れないで欲しい』

『「自分もこんな先生になりたい」と願う。忘れないで欲しい』
 「約7年前だが、大分県を舞台にした教員の採用をめぐる汚職が摘発されたことがある」。「春秋」(日経/2016/1/25付)は、言う。「『先生とカネ』の問題の根は、意外に深いのかもしれない」と。そして、「金品に『どうかお力添えを』との意図がこもっていた可能性に気付かぬほど、先生方は鈍感なのか。李下に冠を正さず、である」と。
 子どもたちにとって、学校の先生は身近な存在であり、親とともに大きな存在である。そのため、子どものころは、憧れの仕事として、学校の先生がリストアップされるが、成長とともにそれは変化する。運良く素晴らしい先生に教えを受けることができれば、やはり先生になりたいとなる。しかし、親も先生を蔑ろにする時代、それに様々な教員に係る事件があると、人気は落ちてゆく。多くの教員はまじめであろうが、「立場をかさに懐をあたためる」輩が消えることはない。でも、それが人であり、教員も人である。教員を美化せず、しかし尊敬でき、互いに愛し合える存在とあるべきと考える。(JN)