『時代の移り変わりとともに教育現場にゆとりが・・・』

『時代の移り変わりとともに教育現場にゆとりがなくなり、大事な時間が失われた気がする』<2018年7月23日(月)>
 「2016年夏にくも膜下出血で死亡した40代の男性教師が過労死認定された」。このことに『余録』(180723)は語る。「熱心な先生だったに違いない。部活では教師だけでなく生徒の負担も重くなりがちだ」。そして、藤沢周平の話を出す。「故郷の山形で2年間、教師をしたことがある。『動機の何分の一かは、教師には夏休み、冬休みがあるということだった』とエッセーに書いている。小学生の時に出会った恩師にも強い影響を受けた。・・・夏休みには20人ほどの生徒を連れて海辺の民宿に10日間以上泊まり込んだ。・・・『教師になろうとしたとき、私は明らかに先生のことを考えていた』と記した。時代の移り変わりとともに教育現場にゆとりがなくなり、大事な時間が失われた気がする」。
 (JN) 何処も彼処も、皆が忙しい。時間がない。沢山の目標が設置されており、そのために時間外も頑張らねばならない。一方で、効率的に働け、時間内で仕事を終えて帰宅せよ。勝手なものである。そのため、行事進行も予定通りに変更なくその通りに行わねばならない。そのため、今の時期は、暑い中で無理をして行事を進めると、子ども達が熱中症で倒れる。教育現場は、子どもの健康な成長を望まず、無理を強いているのか。現場の教員は、子どもたちを守りたいが、上からの指示を受けねばならない。一方で、地域・社会も親も忙しく、学校にその肩代わりを要求する。今ある時間枠の中でできることは限られている。何を学校ですべきなのか。先生は何をすべきなのか。これは、保護者と学校で目的から考え直し、そして、先生任せにせず、皆(保護者や社会)が分担をしていくべきである。