『大岡越前守忠相は、75歳で亡くなるまで生涯現役を貫いた』

大岡越前守忠相は、75歳で亡くなるまで生涯現役を貫いた』
 落語「帯久」、呉服屋・与兵衛は強欲な帯屋に大金を貸し、更に策略で火付けの罪に問われる。これを大岡越前は、名裁きを下す。この裁きの後を、毎日新聞「余録」(2015年11月08日)は考える。「61歳の与兵衛は50年先まで刑を延ばされた。残された人生をどう送ったのか、気に掛かる。静かに隠居していたとも思えない。当時の人々は高齢になってもよく働いたからだ。幕臣や諸藩の武士の多くは70歳を過ぎるまで老齢を理由とする隠居は認められなかったという」。そして、大岡越前と現在について、「現代の私たちが直面している少子高齢化の難題ではあるが、大岡越前が聞いたら苦笑するかもしれない。大岡越前は将軍吉宗公の葬儀を取り仕切った年に75歳で亡くなるまで生涯現役を貫いた人なのだ。」
 自分は、何歳まで生きることができ、何歳まで働くことができるのか。これは、当人のやる気であろうか。職場や制度で退職年齢を定めるべきではない。それは、逆に言えば、働く者は、自己責任で退職を考えるべきであり、老害にならないようにせねばならない。これからの日本、若者が少なくなる分、年寄りがその分をカバーしなければならない。人それぞれに様々な能力があるから、年齢に左右されることなく、組織を動かしていけるようにせねばならない。江戸時代の武士は70歳まで隠居が認められなかったというから、現在なら何歳から隠居が許されようか。(JN)