『まずは「芋粥」や「羅生門」を手にとって、作品の向こう側に思いをはせてもいい』

『まずは「芋粥」や「羅生門」を手にとって、作品の向こう側に思いをはせてもいい』<2019年11月5日(火)>
 1カ月に1冊も本を読まない人が約半数。『春秋』(191105)は文化庁の16歳以上読書調査に思う。「たぶん1年に1冊も、という人だって少なくはないだろう。生涯、本と無縁でスマホの画面とにらめっこ――が多数派になりかねない。こういう具合では古典どころではない気がする。いやいや、歴史をかいくぐってきたものには力がある。むしろ読書の扉を開けるのに格好だという声も聞く。芥川はこうも言った。『我我の――或は諸君の幸福なる所以も兎に角彼等の死んでゐることである』。古典はやはり自由なのだ。まずは『芋粥』や『羅生門』を手にとって、作品の向こう側に思いをはせてもいい」。
 (JN) 現在、「読書週間」であるようだ。ところで、読書とはなんであろうか。単に本を読むことなのだろうか。そうであるならば、16歳以下のであった時の自分は読書をしていた。科学、歴史、ノンフィクション等は好きで読んでいた。しかし、古典は読まなかった。人生を豊かにする上では、やはり古典を読むことではないか。だから、私は1か月に1冊も読書していなかったと考える。読書は苦手で小学校より強制されていたが、我が心はそれを受けつけず、読書はしなかった。未だに、古典相手には今も苦手である。どうしたら、古典を手にしてじっくり楽しめるのか。多読症候群を脱せねばならないか。
#1カ月に1冊も本を読まない人
#本と無縁でスマホの画面とにらめっこ
#古典を楽しむ

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