『白亜の殿堂に国民はリングの興奮を求めてはいない』

『白亜の殿堂に国民はリングの興奮を求めてはいない』
 日経「春秋」(2015/9/19付)は、この数日の攻防に「大事なのは、国と国が対峙する場面に国会がどう関わるかだ」という。
 「丸山真男が、終戦直後、近衛文麿と会った。近衛いわく、首相の時、中国での戦況を陸軍大臣が教えてくれず、天皇に聞きに行ったという。明治憲法では、「統帥権」は不可侵とされ、首相でさえ蚊帳の外。現在では、自衛隊の最高の指揮監督権は首相にあり、戦前の近衛のようなことは起きないが、では安保法制のもとで、国会は事態を制御でき、我々に正確な情報は届くだろうか。「アンギアーリの戦い」か平治物語絵巻か。議員同士の肉弾相打つさまが目立ってはいるが、大事なのは、国と国が対峙する場面に国会がどう関わるかだ。部隊の出動の前提となる国会承認については、一部で「緊急時は事後でよい」となった。今後は曖昧なまま残る種々の「事態」や出動の判断について、具体的に例示して、国会の関与を高めるための議論がほしい。」
 守も攻めるも、双方、国民に正しく内容を伝えずに進んだこの攻防、何とも、歯切れの悪いものであった。国会の外の我々は、この攻防の内容を正しく理解し、自分の考えを整理しなければならない。目先の行動や目に見えるファイトに視線を取られてはならない。白亜の殿堂のリング上は、ストーリーが決まっており、空中戦で抵抗しても、数の決着であった。しかし、私たちの民主主義に終わりではなく、議論を繰り返していくしかない。何が反対か、何が賛成か、これは妥協できるか、自分の考えを代表してくれるファイターは誰だ。(JN)