『新国立競技場の工費上限、けち兵衛に言わせれば、なお不十分』

『新国立競技場の工費上限、けち兵衛に言わせれば、なお不十分』
 新国立競技場の工費、千五百五十億円上限について、東京新聞「筆洗」(2015年8月29日)は、「赤螺屋五輪」が結構ではないか」と述べている。 「『赤螺』とは巻貝のこと。この貝は殻を閉じるとなかなか開かないので、財布の紐の固い人を指し『赤螺屋』と。落語の「片棒」。主人公は「赤螺屋けち兵衛」と。倹約に励み、身代を大きくしたけち兵衛の心配は後継者。三人のせがれに「どんな葬式を出すか」と問うと。長男と次男は豪勢で却下。三男は質素な葬式を提案する。通夜に出すのはお茶と煎餅。棺桶は菜漬けの樽。けち兵衛を喜ばせる。けち兵衛に言わせれば、なお不十分かもしれぬ。新国立競技場の工費について政府は千五百五十億円を上限とすることを決めた。問題は上限が守られるか。」
 お金は使うもの、死蔵するなかれ。しかし、使い道を間違えてはいけない。けちも、使うためにけちをしている。使い道がないならけちをする必要がない。況してや税金の使い道は、無駄遣いをせず、大事なところに使わねばならない。オリンピックが大事ではないということではなく、ここは倹約ができたはずであるし、今後もそうである。競技場の天井は無くなったようだが、経費は天井知らずにならないように願う。ハコモノに力を入れるより、選手強化や多様な人材への対応に力を入れよ。(JN)