オリンピック? 被災地は復興途上、高齢化や格差の問題山積

オリンピック? 被災地は復興途上、高齢化や格差の問題山積
 朝日「天声人語」(2015年6月10日)は、オリンピックに踊り、そのために人々の暮らしが置き去りにされないか、心配する。
 「英文学者の中野好夫(よしお)は1964年の東京五輪の当時、『オリンピック逃避行』と題する一文を本紙に寄せている。中野は日本の国民の「不思議な偉大さ」をたたえる。祭典の準備段階でいろいろゴタゴタがあっても、「会期が迫れば、きっとなんとかうまくやってのける」。それが日本人の十八番なのだ、と。今回もなんとかうまくいくのだろうか。巨大な当初計画はかなり縮小されたものの、予定している総工費1625億円では収まりそうにないという。ここまでの混乱と遅れを税金で尻ぬぐいして国民の理解を得られるのか。半世紀前の中野は思い巡らす。五輪向けに競技場や道路が次々と造られたが、これだけの金が国民生活の改善に向けられていたらどうだったか。『ドブ川の腐臭』や『交通戦争』に耐えながら本番を迎えた多くの人がいることを中野は忘れていない。半世紀後の今、被災地は復興の途上にあり、高齢化や格差の問題が山積する。今回、再び人々の暮らしが置き去りにされないか、心配になる。」
 お祭りは、庶民に必要である。オリンピックは、一般大衆のモチベーションを上げるためか、産業活発のためか、俺がやったと自慢するためか、その一時的な盛り上がりのために、為政者は祭りを利用する。一方で、行政側は、それを実行しなければならず、横のつながりの無い仲をゴタゴタしながらなんとかする。するにはするが、そのために日々の大事なことが疎かになる。立派なものを作るために、その資金は、生み出すのではなく、税金からである。この発想を変えられないか。寄付金を募ることができないのか。通常の税金は、通常の使い方が有るから、オリンピックのための新しい税金徴収のやり方はないのだろうか。使うことより、資金を集めることにも、為政者は知恵を出してくれないものか。それより、派手なことをやってもいいが、大事なことを疎かにしないでほしい。