いっそのこと原点に戻って、このまま原っぱを残せないものか

いっそのこと原点に戻って、このまま原っぱを残せないものか
 メインスタジアムは、一体どうなるのか、日経「春秋」(2015/6/13付)は、古代オリンピックの遺跡を引合いに出している。「スタジアムという言葉は、紀元前のギリシャで使われた距離の単位『スタディオン』に由来する。1スタディオンは192.27メートル。古代オリンピックは当初、この長さの直線を走る競技が唯一の種目だったそうだ。4万人もの観客が詰めかけてレースに熱狂したという。いっそのこと原点に戻って、そういう質朴な祭典を開いてみたら?このまま原っぱを残せないものかと夢想をかきたてる光景なのだ。カネの分担をめぐり文部科学省と東京都の仲は険悪そのものだ。デザインを白紙に戻せの論もあるが、そうなればメンツ丸つぶれ、責任問題も生じるとあって踏み切れないらしい。現在が古代と呼ばれるようになるころ、未来人が巨大スタジアムの遺跡にあきれ果てる図など想像したくない。」
 オリンピックを開催するためには、陸上競技場が必要である。そのためには、そろそろ決断しなければならない。スタジアムが木造の簡単なものであるなら、その場限りのものを作ればよい。では、ニッポン伝統の木造建築と、そうはいかない。良いものをつくりたいが資金には限りがある。オリンピック後も使え、維持して行けるものとはどんなスタジアムなのだろうか。多分、外見のデザインではないであろう。東京の気候を考えて、どんな屋根をつければよいのか。多目的にスポーツ観戦ができるためには、新たな機能を入れるには、等を考えての計画であったはずだ。とにかく、今、霞ヶ丘町には競技場がないので、そこに競技ができるようにスタジアムをつくらねばならない。それとも、野っ原で行うか、否、今から会場変更をするのか。