『パラドーピング』

『パラドーピング』<2018年1月11日(木)>
 「古代オリンピックの競技場近くにあったゼウスの像の碑文」に「勝利は技と努力によって手に入れるべきもので、金や後ろ暗い方法で手に入れてはならない」と記されている。『余録』180111)は今回のカヌー・スプリントの「パラドーピング」を思う。「日本では耳慣れないパラドーピングだが、海外で活躍するアスリートの間では飲食物を自分で管理するといった対策はすでに常識だという。『人を見たら……』と性悪説になることはないが、お互いの信頼を守るためにも悪意につけ込まれない用心が必要になった現代のアスリートだ」。
 (JN) とにかく勝ちたい。オリンピックに出たい。それはわかるが、なぜに人を陥れてまでせねばならないのか。自分への周りの期待を背に、こんな行動が起きるのか。勝者としての名誉にはお金や様々なものがついてくる。心強きアスリートでも、心が動き、ライバルを陥れるようなことをしてしまうのか。否、心の鍛えが足りないのか。とにかく、これは一般社会においては、他人に薬物を勝手に飲ませたり、愛用品を盗むことは犯罪ではないのか。わかっていようがやってしまったのであろうか。この行動をしてしまった以上、アスリートとしての生命はない。もう死んでいる。ここから生き返るにはどうすればよいか。