悲しい事故の経験、アドバイスできることは少なくない

悲しい事故の経験、アドバイスできることは少なくない
 韓国そして中国と続いた船舶事故、同じことを起こしてきた日本がアドバイスできないかと、日経「春秋」(2015/6/9付)は以下の通り述べる。
 「『国鉄の五大事故』と呼ばれるうちの2つは、船の沈没である。1954年、台風による大しけで青森と函館を結ぶ青函連絡船5隻が沈んだ洞爺丸事故では、計1400人以上が死亡した。かのタイタニック号に並ぶ惨事だった。潜水士がようやく船内に入ったのは、事故の発生から10日目だったという。捜索にあたった人たちの悲痛な決断や思いが伝わってきて、胸が締め付けられる。韓国のセウォル号事故の記憶も新しいなか、中国の長江で客船「東方之星」が転覆した。安全な運航や救助の手法はもちろん、遺族らへの対応から支援のあり方まで。同じように悲しい事故を経験してきた隣人として、アドバイスできることは少なくないように思うのだが。」
 船舶の沈没事故を始め、交通機関の事故は、日本においては経済発展の中で度々起きた。そして、今なお起きている。それは、人災であるからだ。一見、事故の多くは、自然災害によるように思うが、その自然災害について、配慮がなされていれば起きていなかったであろう。多くの人を予定通りに行き先に届けるという任務が、生命の危険よりも優先されてしまうところに事故はある。その後の事故の処理も、人の心より違うことが優先されている。収入のために、その秩序のために、私たちの命は犠牲になるのである。このことは、韓国も中国もわかっているはずであるが、私たちは厖大な商品集成の中に埋もれ、人間の価値はどこぞへ消えてしまうのである。痛ましい事故は、起きるたびに再びに起きないようにと願うだけで、起こしてしまう愚かさ。主役であるはずの人間が疎かにされないためには、我々すべてのものがこの悲しみを受け取り、他人事ではないこの事故を自分たち自身も起こさないようそれぞれが行動を見直そう。