自主・自律あっての大学だ

自主・自律あっての大学だ
(日経「社説」2015/4/14付) 国立大に対し、入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱を求める動きだ。安倍晋三首相は9日の参院予算委で、国立大の入学式などでの国旗・国歌の扱いについて「税金によって賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきではないか」と述べた。これを受けて、下村博文文部科学相は翌日の記者会見で「国立大の学長が参加する会議で要請することを検討している」と具体策に踏み込んだ。学習指導要領に定めがある初等中等教育と、大学とは根本的に違う。大学はその運営も教育・研究の中身も自主性、自律性が尊重されるべき存在だ。2006年の教育基本法改正では、大学の自主・自律の尊重について新たに条文が追加された。下村文科相は、各大学への要請は「強制ではなく、お願い」だという。しかしまさに首相が「税金によって賄われている」と述べたように、国立大への交付金のさじ加減は文科省が握っている。大学に対する政府の役割は、入学式をどう営むかといったお節介でなく、教育・研究の水準向上や多様性確保である。政府はこの問題で、これ以上の口出しは控えるべきだ。国立大学協会など大学サイドでも、きちんと対応を議論すべきではないだろうか。
(JN) 大学の教育研究には、金は出しても口は出す必要はないのではないか。随分都合のいい話であるが、大学とはユニバーサルなところであり、国家権力が都合のいい枠の中にはめるような事をすべきではないのであろう。国が入学式や卒業式で、国旗掲揚や国歌斉唱を望むのは良いであろうが、それに対してどうするかは、大学の構成員が考えることである。国会で質問されるべきものではない。郷土を愛することと、国歌を歌うことは違うであろう。周りがどう騒ごうと、十分に検討するも良し、全く無視するも良しであろう。しかし、検討するまでもなく右へ倣えかもしれない。でも、それではインテリゲンチャは、インチキゲチャとなろう。「自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。」
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO85646270U5A410C1EA1000/