便利な道具か、進化した「手錠」か

便利な道具か、進化した「手錠」か
(日経「春秋」2015/4/11付) 腕時計は市民社会における手錠である――。丸谷才一「たった一人の反乱」、美術評論家が、ある写真家が専門誌の賞を受け、その副賞が腕時計だったことから、評論家の長いスピーチが始まる。昔、時計は権力者の高価な玩具にすぎなかったが、腕時計へと小型化し、便利であると同時に人を縛る道具になっていった。だから真の自由人に時計は要らない。写真家に対し腕時計を贈るのはふさわしいかと。多くの人にとって、腕時計は一人前の大人の証しかもしれない。ところが最近、若者に時計をしない人が増えているという。時間なら携帯電話で確認できるからだ。その空いた手首を狙う作戦か、「アップルウオッチ」の予約受付が始まった。単なる時計ではなく高機能の情報端末だ。脈拍測定など健康管理にも役立つという。所有者同士なら互いの心拍を表示させられるため「デート中、相手がドキドキしているかどうか分かる」と。持ち主の行動や健康の情報も集めやすい。便利な道具か、進化した「手錠」か。使い手側も知恵を磨く必要がある。
(JN) 時計には見えない鎖がついており、我々を時間というものに縛り付けている。だから時計は、時間というもを守らせる小道具であり、時計が悪いわけではない。時計をつけていたって、時間に縛られなければいい。でも、我々は、機会が正確に動き、更に情報機器が高度化し、その網からもう逃れられない。買う必要ないのに、そんなに懐に余裕がないのに、並んでまで買ってしまう。買ってしまえば安心だと思っている内に新製品が出て、また欲しくなる。世の中、それに合わせて、何でもかんでも情報機器を使用しないと、通常の生活が送れなくなる。「私は、そんな自分を縛るような腕輪なんか買わない。」なんて言ってても、来年には、中国製か、韓国製の何とかウオッチをつけているであろう。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO85567560R10C15A4MM8000/