「前線」、性質の異なるものがぶつかり合う場所のこと

「前線」、性質の異なるものがぶつかり合う場所のこと
(日経「春秋」2015/3/25付) 沖縄県からスタートし、おととい東京に到達した桜の開花前線は、いまごろどのあたりを移動中だろうか。忌まわしい話だが、「前線」という言葉は国際テロの世界でも使われる。このテロ前線はつながってはおらず、あちこち飛び地もある。次にどう変化するかの予測もできない。ブッシュ米大統領は「テロリストが攻撃対象と考えている場所はどこでも前線だ」と述べた。チュニジアの博物館襲撃テロで犠牲となった邦人女性3人の遺体が、きのう帰国した。魅力あふれる観光地が、いきなりテロの攻撃対象とされる理不尽を思わずにいられない。気象用語の「前線」も、性質の異なる暖気と寒気がぶつかり合う場所のことだ。憎悪や対立ではなく、寛容と融和に満ちた世界は望めないものか。
(JN) 前線は動いて、そこを呑み込んでいく。桜の花に呑みこまれるのは良いが、暴力に呑みこまれたくない。また、この前線は、平面的ではない。異次元空間から突然襲い掛かってくる。人ごみの街中、政治の中心地、観光地、空の上、等で、いつ起こるかもわからない。地球上に安全なところは、人が行けないところだけである。なんと人類と言うものは危険な生物名であろうか。お互いが信頼し合えば、余計なところに力を注ぐ必要がないはずなのに、なぜ、ここまでテロ前線が広がるのか。それは、人が何人亡くなろうとも、私腹が増えることを望む者がいるからであろう。それがどんなものであるのか、それを解決しない限り、この前線は広がって行く。一体、この前線でぶつかり合っているもの黒幕はなんなのであろうか。前線の者は犠牲者である。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84823390V20C15A3MM8000/