いつのまにか匂いに鈍感になってはいないだろうか

いつのまにか匂いに鈍感になってはいないだろうか
(日経「春秋」2015/3/21付) 「沈丁の香の石階に佇(たたず)みぬ」(高浜虚子)。強く鮮やかな香気が鼻先から頭の上に抜けると、春の息吹が体にしみ込むようだ。久世光彦さんは、ときどき自分が誰か分からなくなり怖くなる。医者が「いまの家に匂いは?」と聞いた。答えに窮して子供の頃を思い出す。脳研究者の池谷裕二さんの「脳には妙なクセがある」によると、嗅覚刺激は大脳に直接届くので効果が高い。コーヒーの芳香をかぐと、他人に親切になるという実験結果もあるそうだ。そもそも文字や写真などに劣らず、重要な情報を伝えてくれる。都市ガスなどは、いやな臭気を添加して漏れに注意を促している。そんな危険情報を感じ取れなくなったとしたら、どうだろう。いまでは作家が不安になった無臭の生活に慣れた人も多い。その結果、いつのまにか匂いに鈍感になってはいないだろうか。それは季節を感じる心だけでなく、危難を避ける力の衰えでもある。
(JN) 悲しいかな、香りや匂いから鈍感になった。特に、この時期は、目と鼻が使い物にならない。そのため尚更、生活が外気から遮断するようになり、自然の香りを知らずにいる。ふと窓の外を見ると花が咲いている。香りはそれからいただきに行くか行かないか。かなりの刺激でないと、分かりにくくなった。そのため、微妙な香りを感じない。更に、強い匂いを必要とする。僅かにわが身に残っている嗅覚と頭脳の連携は、帰宅した瞬間だ。「ただ今」と玄関を入り、小さなお家では直ぐに香りがしてくる。夕飯は〇〇〇だ、直ぐ着替えて、焼酎の準備だ。否、今日は酒かな。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84681610R20C15A3MM8000/