「便利だから」(クリントン氏)では理由にならな

「便利だから」(クリントン氏)では理由にならない
(日経「春秋」2015/3/17付) 首相と官房長官が「驚くべき取引」をした。1945年夏、チャーチルは、第2次大戦中の働きに対しなんの報酬も名誉も要らぬと言った。代わりに求めて手に入れたのが戦時中の膨大な公文書である。もちろん今ならどんな大物にも許されない所業である。文書を私蔵したチャーチルは大著「第二次世界大戦」を書き上げ、ノーベル文学賞を受けた。次の米大統領の有力候補、クリントン国務長官が在任中の公務に個人のメールアドレスを使って批判されている。そして、今度は、ブッシュ元フロリダ州知事にも同じ問題が発覚した。国務長官や知事が仕事でメールをやりとりすれば立派な公文書になる。法には触れなくても、使うべき公用のアドレスをあえて避けたのが「便利だから」(クリントン氏)では理由にならない。公と私の境はたやすくぼやける。昔も今も、どこにでもありそうな話である。
(JN) 我々は、電子メールと言うとても便利なもの、日々、公私にわたって利用している。その利用に、正に公私の境目がない。別に公私混同をしているわけではないが、使い方を分けるべきなのであろう。文章は記録として残るので、公的なものはその指定するメールアドレスを使っておこなうべきである。しかし、この職場の指定するメールアドレスやメーラーが使いにくい。ちょいと連絡には、携帯のショートメールらラインでヒョイとやってしまう。クリントンさんやブッシュさんの気持ちがよくわかる。でも、便利ゆえ危険もあろう。手書きで手紙を出していた時を考えれば、少々の不便など我慢できよう。メールや自分の役に立つとともに、相手方の役にも立つ。それ故、職場のわかるアドレスを使いましょう。そうしましょう。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84474340X10C15A3MM8000/