歩道を行くときには、ときどき上を見て、注意する

歩道を行くときには、ときどき上を見て、注意する
(日経「春秋」2015/3/16付) 大昔の中国、杞(き)の国に心配性の男がいた。天が落ちてきたらどうしよう。考えると眠れない。食事ものどを通らない。「杞憂(きゆう)」はこの話からきたが、最近の天変地異や災害の多さを思うと、そう笑ってもいられない。天は墜落してこないが、このところ、空から、いろんなものが地上に降ってくる。ビル看板や外壁が突然、落ちる事故が相次いでいる。歩道を行くときには、ときどき上を見て、注意するに越したことはなさそうだ。上を向いて歩く効用もある。立ち止まると、風が光る。野鳥が街路樹のこずえを渡る。「何の木の花とは知らず匂ひかな」(芭蕉)。そんな香りが遠くから流れてきて、急に春めいた風景に気づく。ただし、顔を上げてばかりだと、ちょっとした段差を見落としかねない。思わぬけがをしないよう、足元の心配も忘れずに。
(JN) 人間と言う動物は、常に様々なアクシデントにおそれながら外界に気を注いできたから、これだけ発展したのであろうか。今後も、杞憂であれば幸いと、取り越し苦労を続けて行くのであろう。近年はまた、高層建築物が多くなり、それらの築年数が進めば、落下物の危険性も出て来よう。業者に手抜きがあれば、これ又危険度は高くなる。危険であるからと、上を見ながら歩けば、鼻の穴に花粉が多く入って来そうで、これまた心配である。それに、年を取り足元が覚束無くなってきた。何処を見て歩けばいいのか。春は、風多く、色々飛んで来る。3月から4月は、様々な変化もあるので、この先わからず心配だ。春と言うこんなに良い季節なのに、胃が痛くなる。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84426120W5A310C1MM8000/