いかに抗っても抗いきれぬものをやり過ごす知恵を

いかに抗っても抗いきれぬものをやり過ごす知恵を
(日経「春秋」2015/3/12付) 沖縄には「チュラカサ」という言葉があるそうだ。漢字だと「美瘡」、つまり疱瘡をあえて美称で呼ぶのである。人を苦しめる天然痘と対決するのでなく上手に敬遠し、身をかわし、退散してもらう――。民俗学者赤坂憲雄さんが「震災考」に書いている。東日本大震災の巨大津波は、過去の教訓を生かした万里の長城のような堤防をも越えた。だからといってもっと高く長い防潮堤を、と抗(あらが)い続けるべきなのか……。ここで生きるすべを思うのだ。チュラカサの思想は反文明ではなく、いかに抗っても抗いきれぬものをやり過ごす知恵なのだろう。必ずやってくる大地震や大津波の災禍をうまく避けること、そこからうまく逃げること。わずかな差で落命した多くの人たちが、その大切さを教えてくれていよう。5年目に入った震災後の社会は、なお学ばねばならない。
(JN) 抗うのではなく、如何に相手の動くを捉えて、それに対応するか。津波を真面に受けると、巨大な防潮堤も役に立たない。自然と言うものは、それだけ底知れぬ力を持っている。それが、原子力に係る方々には、わからないのか。地震津波がどんなに強力な力が襲って来ようと大丈夫と考えるのか。これだけひどい目にあったのに、もう喉元を過ぎて暑さを忘れてしまったのか。今の日本国土においては、どんなに強度なものを作り、自然に対して抗いても、我々国民を守ることができるのか。賢い者は、他人の経験を理解しることができるが、愚かな者は痛い目にあっても繰り返す。我々は、それほど愚かな国民なのか。そうではなかったはずだ。犠牲者を出しては想定外では堪らない。進んできたものを止めるのは大変なことであるが、それをするのが政治家の仕事であろう。日本には、頭脳があるはずだ、その頭脳で原発に代わるものを生みだすべきである。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84271900S5A310C1MM8000/