ウクライナの停戦、16時間かけて得られた「かすかな希望」

(日経「春秋」2015/2/14付) 戦争を回避する最後のチャンスはいつだったか。平和を維持しようという願いや決意が戦争容認に変わるのはいつなのか。その要因はなんなのか。これは過去を検証する学者にとっては事実や論理の問題だが、現実に直面する政治家にとっては感情や直感の問題だ――。ベーカー元米国務長官の回想録の一節にこうあった。16時間の交渉のなかで、ウクライナ、ロシア、ドイツ、フランスの首脳にはさまざまな感情や直感が去来しただろう。ウクライナ東部の停戦に合意したのは「最後のチャンス」の直感をともにしたからかもしれない。4人に晴れがましさがないのは当然で、15日の停戦発効を控えた火事場泥棒のごとき戦闘は会談後も続いているという。16時間かけて得られた「かすかな希望」(メルケル首相)の行く末のカギをロシアが握っている。会談中のプーチン大統領が、無意識なのか、手中の鉛筆をポキッと二つに折る画像が少し不気味である。
(JN) 停戦に向けての調整、これこそ政治力の必要な、或いは人間力の本当に必要なところなのであろう。様々な人々の思惑の中で、戦場となった地域の人々は、平和を待っている。現場は、本当に死と背中合わせである。一方は、テーブル間での戦いであるが、命を懸けての闘いであったろう。「かすかな希望」をより見える希望にするために、ロシアはウクライナ東部の未来を考えてもらいたい。自分たちの欲望のために、弱き者たちを犠牲にする、力ずくで抑え込むという、過去の主義から大国は脱すべきである。停戦から、平和へ、人の命や時間は戻らない。当事者たちの闘いは、火力の戦争から、テーブル上の闘いにもってこさせるべきである。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO83183720U5A210C1MM8000/