美を追い求め、善をこころがけ、義を重んじる

(日経「春秋」2015/1/5付) 電話からメール、さらに交流サイト(SNS)と、そのあおりを受けて今年の正月用の年賀はがきの発行枚数はおよそ34億、ピークだった2004年用に比べ2割あまりも減った。それでも、心のこもった年賀状を受け取ったときに胸をひたす温(ぬく)もりには、格別なものがある。年賀状がなければめったに意識することもないのが、十二支だろう。今年は未(ひつじ)年。どういうわけか「未」という字を用いるのだけれど、白川静さんの分析では、「美」「善」「義」、前向きの価値観をあらわす漢字には、羊の字を含んでいるものが、いくつかある。漢字の原型ができたころ羊を神事に用いることが多かったからという。美を追い求め、善をこころがけ、義を重んじる。あらためて自分の生き方を問う、仕事始めである。
(JN) 時間の流れには区切りがないが、人のこの発明した年の区切りは、慌ただしさからの一時的解放と若干の再設定の機会を与えてくれる。また、年に一度の交流ともなる年賀状は、年末のその作成が苦悩の時間になるのであるが、住んでいる空間から瞬間的にでも脱することができる。そして、正月は、家族との時間もできる。過去を振り返るより、今年をどんな年にしようかを想う。「お父さんに赤いシャツ」、「未年か」、「母さんは」、「知らんのか」、「寅、辰、巳、午、羊・・・?」、「赤いセーターがあるからいい」、・・・・、「お酒やめたら」、「身体と心のバランスが大事だ」、「今年はどこへ旅しよう」、・・・・、「ひげ剃れよ」、「太ったろ」、「髪の毛長いぜ」、「ゲーム、卒業したら」、・・・・・・「ばあさんに電話しよう」。とにかく、健康な一年を願ってスタートである。仕事を忘れたいが、正月は終わってしまう、いや終わったのか。美とは、善とは、義とは、などと言ってられない。現実は成果だと。「サザエさん」が終わり、ニュースをみて、仕事が近づくことを焦り始める。夕食が終わり、「花燃ゆ」が始まった。吉田松陰は言う「なぜ学ぶのか」「自分のために・・・・・・」、少々心を揺さぶられ、善をなさねばと思い1月4日が終わった。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO81546730V00C15A1MM8000/