『年賀状をもらってうれしいのは』

『年賀状をもらってうれしいのは』<2018年12月18日(火)>
 「池波正太郎さんは年が明けると年賀状の干支の絵を描いた」と『筆洗』(181218)は伝える。「描いているのは来年の年賀状の下絵である。毎年、数千枚の年賀状を出していたそうだが、この枚数では年末になってからでは間に合わない。・・・そもそもペンで何かを書くという習慣も減り、いざ年賀状と思っても、わずらわしさが先に来る・・・コピーライターの岩崎俊一さんのこんな文章で気を取り直す。『年賀状をもらってうれしいのは、(出した人が)あなたの顔を思いうかべながら、年末の深夜、眠い目をこすり、知恵をしぼりながら、せっせとペンを走らせてくれたからだ』」。
 (JN) 年賀状はとっくに購入してあるが、まだ手つかずである。毎年、今年こそは早くから準備をして、一言ずつ書いていこうと思いながら、早や12月も半ばになってしまった。例年、一部の人へ一言入れるのが精いっぱいで、「エイ」とポストへ放り込んでしまう。大体、いつも顔を合わせている人に何故出すの。今年こそ送り先を絞って愛情のある年賀状を書こう、これも毎年思っていながら、役所の様に先例主義になっている。どうしたらよいであろうか。ここはひとつ、イノベーションだ。基本に立ち返り、年賀状の目的を定めて、送り先を整理して、愛情いっぱいの年賀状を出そう。そうしたいが、決断の時は迫っている。郵便ポストを見るのが怖い。