「運命の年」から70年

(日経「春秋」2015/1/1付) 「運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる」。70年前の元日、山田風太郎の日記。「祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ」。悲壮な決意を強いて運命の昭和20年は始まった。大みそかの深夜から、東京の浅草方面はB29に襲われているから正月どころではない。ルソン島では年明け早々に米軍の猛攻を受ける。これだけの長い歳月、一度も戦争を経ずにやってきたのは本当に貴重なことだ。そのありがたさを思い、過去の栄光も悲惨も、成功も失敗も素直に見つめたい。過ぎ去った日々はしばしば美しい。たしかにあの戦争の時代に、人々は生と死にひた向きに対峙した。しかしまた、無理無策を重ねてたくさんの過ちを犯し、アジアを苛(さいな)んだ現実もあった。「運命の年」から70年。運命を乗りこえて今日の繁栄を手にした日本である。そして明日をひらくために、記憶をなお胸に刻むのだ。
(JN) 敗戦から70年、これだけの長い間、国民を戦争へ送り出していないということは、米国の傘の下ではあるが、素晴らしいことである。あの戦争の痛手がそれだけ強かったことと、米国の力が強かったからであろうが、その痛手を知っている人たちが世を去って行き、70年前以降に生まれたの者たちの世となり、米国は弱体化が始まり、バランスが崩れ、若者を戦火に送らねばならないことが起きるのであろうか。平和ボケしても良いから平和を維持したい。でも、平和を守る方法は、軍事力になるというこの矛盾あるかぎり、軍備増強が続く。どうすれば平和をもたらす事ができるのであろうか。私たちは、戦争と平和について、一人一人が考え、それを国政に反映すべきである。それには学習が必要だ。戦火の記憶を持つ人々が少なくなっていく以上、記録を辿るしかない。老若男女、繰り返し、足を使い、記録を確認し、様々考えよう。本日は、その計画を家族と考えてはいかがか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO81508290R00C15A1MM8000/