研究そのものが壮大な虚構だったということか

(日経「春秋」2014/12/27付) 冬ざれの川は流れる水が減って、それまで見えなかった景色がむき出しになる。いまごろの季節のそんな眺めを「水落石出(すいらくせきしゅつ)」と言うそうだ。転じてこの四字熟語は、ベールがはがれて真相が露(あら)わになることを指すという。きのう理化学研究所の調査委員会は、小保方晴子さんらが「発見」したものはES細胞の可能性が非常に高いとする報告書を出した。研究そのものが壮大な虚構だったということか。真実を覆い隠す水は流れ去ってはいない。小保方さんや、協力したベテラン研究者に語ってもらわねばならないことが山ほどあるのに。年も押しつまっての報告書公表で、この空前の不祥事も幕引きというならやはり甘かろう。11カ月前の華やかな発表に惑わされた小欄としても、悔恨をかみしめて水落石出になお目を凝らすとする。
(JN) 科学者には、その専門への探究とともに、社会倫理観を持ち合わせてほしいが、専門家は偏った集中力ゆえその専門的発見や発明がなされるのであろう。従って、その専門家を抱える研究所は、それをコントロールできる力が必要である。虚飾の傾向は、誰しもあろうが、ことが間違うと死者をも出すのである。素晴らしい発明や発見であるほど、検証を十分すぎるほど行い、また社会との関係への影響を配慮したい。愚かな民は、期待しているのである。科学は嘘をつかないとも思っている。その愚かな目に受けるような所業をする勿れ。科学者の欲望は真実に対してであり、名誉欲が優先されてはならない。でも、大変愚かな私は、まだ「STAP細胞はありまーす」と思いたい。このことは、水に流されてしまうのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO81411720X21C14A2MM8000/