人が人を差別するのはその対象を恐れるからである

(朝日「天声人語」2014年11月9日) そもそも女性ならではの視点とか男性らしい発想といったものが存在するのか。「戦争と女性」をテーマに女性の識者だけで語りあうパネルディスカッションがあった。「立憲デモクラシーの会」が一昨夜、都内で催した。経済学の浜矩子(のりこ)さんは明快だった。「女性は戦争に対する最大の防波堤になりうる」。なぜか。女性は強い。どこにでも移動し、環境に適応し、耐久力もある。強く、ゆとりがある者は他者に対し攻撃的になる必要がない。戦争とは「弱虫の凶暴性」が引き起こすものだ、と。憲法学の青井未帆(みほ)さんは、日本の構造的な男女格差に注意を促した。女性の間には社会的に認められないことへの憤りが渦巻いている、と。政治思想史の岡野八代(やよ)さんも、女性の深刻な貧困化に鈍感な政治の現状を厳しく指弾した。浜さんによれば、人が人を差別するのはその対象を恐れるからである。強い女性が社会を方向づけるようになれば、戦争は遠ざかる。それは、安倍政権が考えているのとは全く違う意味での女性の「活躍」だ、と。女性という存在への全幅の信頼が感動的ですらある。すがすがしい気持ちに包まれて帰途についた。
(JN) 安倍政権の考えている「女性の活躍」が何であるかよくわからないが、男にとって都合の良い活躍であろうか。また、閣僚の採用のように数を出せばいいということであろうか。でも、とにかく女性の閣僚の数を増やすことは大事である。また、我々は、お姫様ではない女性の議員候補者をもっと出すことをそれぞれのところで実践しなければ、女性義委は増えない。また、職場において、如何に女性の役職者を育てて行くか、それは構成員全員の考えを育てることからかもしれない。上司が女性では嫌だと言う輩を無くさねばならない。と言うよりその性別の意識を無くして行くことである。基本的に、女性の方が環境適用能力があり、大人である。「マッサン」を見ていても、マッサンはエリーの子供のようだ。エリーとその周辺の女性たちの力が日本のウィスキーを作り上げるのであろうか。とにかく、女性の活躍しているわけで、それを男がいつまでも女性を恐れていて、さらにそれに甘えていてはならないのであろう。
http://www.asahi.com/paper/column.html?iref=comtop_pickup_p