鵺か、「無理な論法」を安倍内閣

朝日新聞天声人語」14年10月05日) 「見る者の視点によって姿の変わる鵺とも言うべき奇怪なものと成り果てている」。集団的自衛権の行使を認めた7月の閣議決定をそう批判し、撤回を求める報告書がまとまった。憲法学者や元官僚らによる「国民安保法制懇」が先月末に発表した。集団的自衛権は行使できないとする1972年の政府見解の理屈を借りて、行使できると正反対の結論を打ち出す。およそ理解しにくい「無理な論法」を安倍内閣は採用した。その意図も、もたらされる結果も、曖昧模糊(あいまいもこ)としているから鵺だ、と。今回の憲法解釈の変更は「内閣の権能を超えており、無効といわざるをえない」という立場だ。。政治権力を拘束するはずの憲法を、時の為政者がほしいままに読み替える。それが通るなら、後に続く者もしたい放題とならないか。法秩序は制御不能の混乱に陥りかねない。
(JN) 国家が暴力を整備して守ろうとするものは、国民の安全ではなく、国家の保全である。それは、国民から税金を徴収する権利や国家の土地を守るためにあるのだから、国民を国家から守ろうとする憲法閣議でコントロールできるようにすのは当然だろう。これに対して、国民側が憲法の力を保持しようとするのも当然である。そのぶつかる場が国会であり、その中心が野党議員である。しかし、相手は鵺で、野党は頭を引っ込めたままで、手も足も出ない状態である。この現状を私たちは理解し、国民安保法制懇で述べているように、「私たちは、主権者である国民としてこの暴挙を黙認することは到底できない。」「立憲主義を無視し、特殊なイデオロギーで国のあり方を根本的に変容させようとするこの策動への注視を怠らず、反対の声を今後とも広げていく必要がある。」
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