一流どころの選手はこぞって「らしさ」を出している

(日経「春秋」2014/6/26付) ここ数日、寄ると触るとこの話題だったサッカー・ワールドカップ。たとえ可能性が低くても、夢を語り合うのは楽しいものである。もう突破を決めた相手のコロンビアにやる気はないはず、という訳知り顔があった。それでこの結果。圧倒的強さには敬意すら覚えた。解説者の山本昌邦さんが「サッカーは11人の掛け算で、1人でも0があると0になる」と書いていた。きのうの試合は、違う意味で日本が足し算、コロンビアは掛け算をしているようにみえた。選手からは大会の間、「自分らしさが出せなかった」とよく聞いた。が、一流どころの選手はこぞって「らしさ」を出している。結局、選手や監督、もちろん見る人、伝える側にも、甘さや身びいきに過ぎた面があったのだろう。世界の壁の高さを目の当たりにして、「1億総皮算用」で幕を下ろした夢の後味がほろ苦い。
(JN) ザッケローニも残念であったろう。これだけの力があれば、ある程度勝つと思ったろう。でも、彼は日本人の理解には至らなかった。同じサッカー技術を持ったイタリア人チームだったら違ったかもしれない。これが実力の差である。計算などができない、そんな力を身に着けたい。リーダーとともに突進していくパッション。大会前に、解説者の何方かが言っていた。このチームに、釜本がいれば勝てると。世界に出て行くためには、サッカーだけではなく、どんな体勢からでも、ボールを押し込める能力者が必要だある。自分らしさなどいらない、ゴールの網を揺さぶる力だ。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO73339150W4A620C1MM8000/