種々雑多な思惑がからまりあう国際舞台の力学

(日経「春秋」2013/2/14付) 古代ギリシャの名家に生まれたアリストクレス少年は、肩幅が広くがっちりした体格の持ち主だった。そこに目をつけた体育教師が授けた愛称が「広い」の意味にちなむ「プラトン」体格どおりの文武両道だったプラトンレスリングが得意で、大会で優勝したこともあったらしい。古代オリンピックでも「人類最古の格闘技」といわれる競技に人は興奮し、チャンピオンはスターだった。そのレスリングが五輪から姿を消しそうだという。日本のお家芸じゃないかという悔しさはおいておこう。ただ、国際オリンピック委員会(IOC)理事会の決定がストンと腑(ふ)に落ちない。「オリンピア」によれば、プラトンレスリングを理想の国にふさわしいスポーツとして奨励した。さて、今日の五輪にふさわしいスポーツを決めるのは。残念ながら理想の五輪を思い描く哲学者ではなく、種々雑多な思惑がからまりあう国際舞台の力学なのだろう。
(JN) レスリングに代わってどんな競技が浮上してくるのか、まさに種々雑多な思惑がからまりあう国際舞台の力学の現れるところであろうか。日本人が貧弱な体で努力をして、メダル獲得できるようになると、ルールが変わったり、競技が無くなったり、多くのスポーツ(モータースポーツも含めて)にて起きていると、私の狭い心は考えてしまう。これは発言する能力不足なのであろうか。政治力がないのであろうか。この不利を克服するためには、どうすればよいのか。政治経済を含めて、日本はこれからプラトン哲学を学ぶところからやり直していくべきであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO51694890U3A210C1MM8000/