五輪の歴史の重い一コマ

(日経「春秋」2013/9/8付) その作品を「空前絶後の出来だと思う」と映画監督の篠田正浩さん。1936年のベルリン五輪の記録映画「オリンピア」。ドイツ人女性レニ・リーフェンシュタールが監督してつくられた。その彼女が101歳で死に、きょうで10年になる。これはヒトラーのための宣伝映画だった。日本選手が銀、銅を取った棒高跳びは、夜の撮影に失敗して後日撮り直しなど、ごまかしや細工はまだある。にもかかわらず、選手や観客の表情のとてつもないアップあり、水中撮影あり、スローモーションあり。斬新な映像とリズムにはいまも古めかしさがない。作家の沢木耕太郎さんが「外国映画の中で最も日本人を美しく撮った作品かもしれない」と書いている。その通りで、日本人は選手も観客も、真顔も笑顔もいい。それに大勢出てくる。だが、トルコ人が登場するのは気づいた限り1度。バルセロナがベルリンと36年の開催を争って敗れ、ナチスドイツの人種差別政策に抗議する左派政権が独自に国際スポーツ大会を開こうとしていたからだ。その大会も、開幕直前に内戦が始まり中止へと追いこまれてしまう。「オリンピア」にスペイン人選手の姿はない。そのこと自体、五輪の歴史の重い一コマでもある。
(JN) そんな過去があったのか。やはりオリンピックは政治舞台であるのですね。特に近代五輪はその時の世界のバランスで、招致が進められまた新たなバランスが生まれるのであろうか。今回の2020年東京はどんなバランスであったのか。その真実はいずれ明らかになるのであろう。そんなことより、せめてオリンピック開催中は全世界での戦争等を停止し、また話し合いの場が持てる機会にならないものか。自分にとっては、東京オリンピックは景気云々もあるが、原子力、人口構成バランス及び民主主義教育が整備されないと、引退後が安心できないので、まずは7年自分のちっちゃな世界でJN毒をばら蒔いていきたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59438910Y3A900C1MM8000/