学ぶ喜びを忘れていないか

(日経「春秋」2014/6/7付) ドキュメンタリー映画、良質でも地味で、おおむね客集めに苦労する。そんなイメージがあるが、いま異例のヒット、「世界の果ての通学路」。ケニア、アルゼンチン、モロッコ、インドで長い道のりを通学する子供たちをフランスの監督が記録した。例えばケニアでは、11歳の兄と7歳の妹が家から学校まで片道15キロを2時間かけて歩く。野生動物の群れがいれば遠回りを強いられる。武装ギャング団にも警戒が必要だ。どの子供も悲愴(ひそう)感はない。学校とは自分の人生を切り開くための場所だと、はっきり自覚しているからだろう。貧しい中で学校に通わせてくれる親に感謝する。日本では、学びの場がある幸運を自覚している子がどれだけいるだろう。日本の大人たちは学ぶ喜びを忘れていないか。配給元によれば、子供より大人の観客の方が、何かを学ぶ意味について見た後で考え込むそうだ。
(JN) 困難を乗り越えて、自分が必要とするものを取りに行く。学校が遠くにあろうと、通学路が危険であろうと、教育を受けることが必要であるから行く。日本の多くの子供たちは、教育を受けること、与えられるのが当たり前で有難味を感じているであろうか。従って、行くだけで良いと勘違いし、そしてところてん式に卒業していく。大学教育も同様に受けにやって来る。危険に曝す必要はないが、自分たちで必要と感じる教育環境を作り出す必要がある。学校へ教わりに行く前に、家庭教育等で子どもたちに勉強の必要性を感じさせる。勉強を教えるのではなく、必要と思わせるために考えさせることを赤子の時からできないものであろうか。欲しいものがそう簡単には手に入るような環境をまずは改めたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO72409280X00C14A6MM8000/