日中のはざまで揺れた「愛新覚羅」の人々の思い

(日経「春秋」2014/5/28付) 「愛新覚羅」という不思議な名字を新聞の訃報に見つけて、おやっと思った人も多いに違いない。ラスト・エンペラーとして知られる溥儀(ふぎ)はそれを受け継いだ最も有名な人物だろう。その王族の最後のひとりが亡くなった。北京で暮らし、95歳の長命を保っていた愛新覚羅顕蒅(けんき)さんである。戦前、日本に8年間も留学した「お姫さま」は、共産党が天下を取った故国で右派分子として投獄される。服役15年、そして農村での強制労働。自由の身になったときはもう還暦を過ぎていた。のちに著した手記「清朝の王女に生れて」には彼女のたくましさと、天性の明るさがにじんでいる。姉のひとりには、日本へ里子に出された川島芳子がいる。関東軍の手先とされ、やがて銃殺刑に処された悲劇的な芳子のぶんまで顕蒅さんは生きたといえるかもしれない。波乱に富んだ歳月を重ねながら、片時も忘れないのが日本のことだったという。日中のはざまで揺れた「愛新覚羅」の人々の思いでもあっただろうか。
(JN) 愛新覚羅と言えば溥儀、大日本帝国と清国の思惑は、資本主義の荒波に晒され多くの死者を出す戦争の道の中で生き抜く。顕蒅さんは、この5月26日までご存命であったとは。95年のその人生は、昭和の激動は、もう歴史の世界であるが、数値を見れば自分より36年上であるだけである。正に、その30年ほどの間に世界は戦火の中にあった。遠い世界ではない。彼女が見てきたその世界は、もう二度と起こしてはならない。世界資本主義の流れの中に取り込まれた人類は、今後、どのような歴史を作って行くのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO71891680Y4A520C1MM8000/