「瑞穂の国の資本主義」がふさわしい

(日経「春秋」2014/2/27付) 「瑞穂の国」というのは安倍首相がよく使う言葉のひとつだ。日本人は古来、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら五穀豊穣(ほうじょう)を祈ってきたと。日本には、米国流の「強欲」ではない「瑞穂の国の資本主義」がふさわしい、と。環太平洋経済連携協定(TPP)、聖域死守。農協はもちろん、右から左からも「瑞穂の国を守れ」のスローガンが聞こえてくる。シンガポールでのTPP交渉閣僚会合は関税分野での日米の対立が響いて物別れに終わった。「日本は名誉ある孤立を選べ」などという言説の飛びかう昨今だから、交渉離脱の誘惑さえ沸いてくるかもしれない。けれど、その先に何がある。瑞穂の国と言いつつ耕作放棄地が滋賀県の面積に匹敵する列島に、何がある。
(JN) 種まけば稲が自然と生えてくるような国であればよいが、様々な輸入品の恩恵で、この瑞穂の国は実りを迎えることができる。資本主義は大きな流通の中で生成発展没落を繰り返すのであり、孤立することなどできない。日々変化する資本主義のこの世界では、何が真理であるのか、何が強いのかも分からない。ただ言えるのは、日々汗を流しているものを大事にすべきだという事だ。その汗のおかげで私たちは生きて行けるのだ。瑞穂を作っている人と、瑞穂を扱っている人は違う。首相はどちらを大事にしていくのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO67464490X20C14A2MM8000/