他人のすることが、なんでもかんでも気に入らない

(日経「春秋」2014/5/29付) 「人を殺そうと思った」「誰でもよかった」、AKB48のメンバーに切りつけ逮捕された男が、調べにこう話しているという。過去にも同様の事件で、犯人らが口にしてきた言いぐさだ。こうした手合いは、多くの場合、力の強い大人の男性を襲ったりはしないものだ。「誰でもよかった」という相手は子どもや女性、お年寄りである。弱者を無差別に狙うこうした犯行が、時として次の犯行を誘発するおそれがあるからだ。AKBの事件のすぐ後にも、金沢市で開かれていた小学校の運動会に刃物を持った男が侵入して、児童を追い回す事件が起きた。「他人のすることが、なんでもかんでも気に入らない人が世の中にはいる。自分の気に入らないことを見つけると、まずそれをぶっこわしておいてから理由をでっちあげる」。作家の宮部みゆきさんの「火車」のなかに、こんな一文があった。定型のような妄言に惑わされず、悪意に負けない社会づくりに知恵を絞りたい。
(JN) 多様な人々との共存なくしては生きて行けないこの世界の中で、他人の存在が気にくわないのはなぜか。それは、どこが気にくわないのか。そんな自分を自分は、気に入っているのか。大なり小なり、人は自分や他人を全て気に入ってやしない。だから、自分や今の環境を何とかしようとするのであろう。気にくわないからそれを暴力により攻撃する行為は、人間としてどうなのか。それは、当事者とともに、周りにいる者たちはその当事者をそこまで追い詰めているのか。私たちは、同様な人間ではあるが、多様な心身の持ち主であるので、それぞれの基準があり、自分の基準では他人を理解できない。であるから、そこでは、異質と感ずるものを弾き出すのではなく、取り込んでいかねばならない。いろんな仲間がいる、挨拶の出来ない、自分の好きなことしかしない、意見を言わない、他人には厳しい、正直に言ってくれない、他人の悪口ばかり言う、圧力的な、ぎりぎりまで困っていることを言わない、・・・・・etc.。これらを上手に取り込む良い統一的方法はない。冗長になるが、それぞれの場面で、みんなでお互いのことを考えていくとこであろう。私たちの周りには、事件の可能性が存在している。その可能性を0にすることをお互いに努力しよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO71947400Z20C14A5MM8000/