名前がつくと、それだけで丁寧に扱う

(日経「春秋」2014/4/26付) ある学童クラブで、愉快な話を聞いた。みんなで使う文房具一つ一つに名前をつけているというのだ。たとえば赤いはさみは「はなこ」で、青は「こたろう」。「ナンシー」「ダニエル」といった外国生まれ?のホチキスもあるらしい。名前がつくと、子どもたちはそれだけで丁寧に扱い、使った後もきちんと片付ける。職場でも「課長」などと肩書で話しかけるよりは、名前を口に出してみた方が風通しはずいぶん良くなる気がする。「雑草という名の草はない」は、昭和天皇が語った言葉だ。それぞれの草に名前があり、それぞれに生きている。もうすぐ、「昭和の日」や「みどりの日」が続く大型連休である。すがすがしい初夏の一日、家族で近所の花や草の名を調べてみるのも楽しいのではないだろうか。咲き競うパンジーやチューリップなど定番の花々だけでなく、身の回りに生きる植物の豊かさを改めて感じることができる。
(JN) それぞれに名前を示さないと、当該者がわからない。身近でも、例えば、「課長」と街中で呼んだときに、何人振り向くのであろうか。「先生」も良く使う。便利である。名前を忘れることがあり、その場合、これで何とかなるのだが、やはり名前で呼びたい。家庭でも、「母さん」ではなく、「ナンシー」と呼ぶべきであろう。そういえば、職場のプリンターに名前がついていた。まずは、自分の手持ちに「フランク」とか、「ジョージ」とかつけてみるか。いろんな感情が入るかもしれない。連休は、擦り切れ気味の「タロウ」靴を履いて、大学野球を観に行こう。たぶん日差しが強いので「シンゾウ」グラスと「シンタロウ」帽を持って行こう。これでは冴えないか。それに丁寧に扱なくなってしまいそうである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO70448640W4A420C1MM8000/