東京オリンピックでは何を売ろうか

(日経「春秋」2014/2/24付) 「小さいおうち」は、戦前の中流家庭を描く。作中で玩具会社に勤める男性が、ベルリンで開催中の五輪の報道に興奮しながら、こう語る場面が登場する。「これが、東京であってみたまえ、どれだけ玩具が売れることか!」 昭和11年夏、ベルリン五輪開幕の直前に4年後の東京開催が決まった。実際に外国人の財布は期待を集めた。橋爪紳也氏の著書「あったかもしれない日本」が、雑誌「商店界」の付録「オリムピック新商売集」の内容を紹介している。「金儲(もう)け新プラン集」というページでは、絵はがきは「芸術的」なものより「ケバケバしい」ものが好まれると解説。「ソチ五輪も終わり、東京の出番が「次の次の次」に迫った。昭和11年の日本人も国際交流やビジネスの好機に胸躍らせたが、2年後に戦争などで開催を中止。10年もたたず多くの街が焼け野原になった。
(JN) オリンピックは、儲けるためにあるのか。平和の祭典は、何のためにあるのか。100年ほど前にクーベルタンは、「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである」。だから、我々は盛り上がるのであり、人が集まるから、そこにお金も集まるのである。まずは我々は、オリンピック精神とボランティア精神に基づき、スポーツにて競い合う人々のその環境を充実させ、それを応援しにくる人々が楽しく安全に過ごせる東京を準備したい。我々の世界とのお付き合いがこれで終わるようなものにしてはならない。「小さなおくに」は、品物を売って儲けるよりも、過ごしやすい日本の「道徳的精神を売り出そう」。但し、それは国が定める道徳ではない。人々がそれぞれに考える人の道である。そうすれば、もう東京は焼け野原になるまい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO67287150U4A220C1MM8000/