「先生同志! きょうもクラスに欠席はありません」

(日経「春秋」2014/3/26付) 知りたくもないことを学ぶのは苦痛である。最近、あるハンガリー人に「先生同志! きょうもクラスに欠席はありません」というロシア語だけはいまだに忘れられないんだ、と聞いた。旧ソ連が東欧を牛耳り、ロシア語を義務で教えていた冷戦下の学校では、授業の前に生徒がこう口をそろえたらしい。そう、人に「同志」と呼びかけるのが社会主義の決まりごとだったのだ。もっとも、きょうの同志があすには粛清されもする。主要8カ国(G8)という仲間も結局は幻想の産物だったのか。オバマ米政権がロシア高官の海外資産を凍結する制裁を決めたとき、ロゴジン・ロシア副首相が「オバマ同志よ、海外資産がない場合はどうしよう」と皮肉ったそうだ。むろん、いまこちらから「プーチン同志」と呼びかける気はしない。事態が深刻に過ぎる。
(JN) 「プーチン同志」は、どんどん力で押してくる。必死なのであろうか、ゆとりがない。それほど力尽くで攻めてくるには訳があるのだろう。それが何であるのか。「オバマ同志」は、「マケイン同志」の後方援護射撃で、「オバマ同志」の背後を狙っているようで、同士討ちをする模様だ。どちらも、苦しい中で、押しまくるしかないのか。大国の都合で、悲しい思いをするのは一般大衆である。こういったことに抵抗する手立ては、その状態になってからではお手上げだ。そうならないように、私たちは指導者をどのように選び、応援して行けばよいのか、技術は進歩しても、人類自身は進歩していない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO68872540W4A320C1MM8000/