何と命を軽く見たか、「十万人死んだところで東京は潰れない」

(日経「春秋」2014/3/10付) 「やむをえず方針にしたがうことになりました」。昭和20年3月9日、校長先生は子供たちと親を前に、下町の国民学校、卒業生66人を引率、疎開先の宮城県から帰京し、親に引き渡した時の言葉だ。当時としてはぎりぎりの発言かもしれない。「くれぐれも空襲から身を守ってあげて下さい」。校長先生は親たちに念を押した。生徒の1人である東川豊子さんのこうした回想を、早乙女勝元著「東京が燃えた日」が紹介している。その日の深夜に爆撃機が来襲。66人の生徒のうち13人が命を失う。東川さんも父と弟を亡くした。この夜の死者は10万人以上。想定外の数字ではなかった。河出書房新社「図説東京大空襲」によれば、東京の防衛に責任を持つ陸軍中将が空襲の前年にこんな論文を発表している。東京の爆撃で約10万人が死ぬ。しかし東京の人口は700万人。「十万人死んだところで東京は潰(つぶ)れない」。命を見る目の軽さに改めて驚く。
(JN) 犠牲者は一人でも少なく、できれば犠牲者を出さぬという考えがない。「十万人死んだところで東京は潰(つぶ)れない」とはいかなる考えか、人の命を将棋のこまのように考えているのか。決してあってはならない考え方である。それにしても、なぜ、疎開先から子供たちを態々戻し、犠牲者を増やすような行為をしたのか。戦争という場がそうさせてしまったなどと逃げるわけにはいかない。日本の師範教育にすべて問題があったわけではないが、その反省があり、教員養成は解放制教育となり、私立大学も含めて多くの大学で免許取得の単位を開設できるようになった。一つの考えを押し付けるような教育にならないように、考えに選択が持てるような、そして何よりも人の命が大切であることを教育は考えの基本にしなければならない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO68022040Q4A310C1MM8000/