忘れられない。忘れてはいけない。2011年3月11日の14時46分

(日経「春秋」2014/3/11付) 人間はおそらく2つの時間の中で生きている。どんどん流れて先へ先へと進む「時」。秒針に背中を押されて、人は僅かな変化にも新しい価値を探そうとする。古い一枚の写真のように、止まった「時」の価値もある。何年たっても変わらない。忘れられない。忘れてはいけない。2011年3月11日の14時46分が、その時だった。あれから3年が流れた。「時よ止まれ、おまえは美しい」。文豪ゲーテの戯曲「ファウスト」で、理想国家の建設を夢見る老学者が思わず口にする言葉である。3.11の惨事が起きる瞬間。その直前までの美しい姿のまま、被災地の時が止まっていれば、と夢想することもある。早く過去と決別し、未来に進みたいという声がある。記憶の風化を恐れる声もある。2つの「時」の価値を行き来しながら生きる能力を、たぶん私たち人間はみな備えている。ゲーテはこうも語っている。「毎日を生きよ、あなたの人生が始まった時のように」
(JN) 嫌な過去は早く忘れて、新たな世界で生きて行きたい。過去に縛られるような運命論は真っ平御免である。自分が生きて行く中での過去は、ただ過ぎる者であり、嫌な過去など、消し去りたい。でも、これが嫌な過去であることは繰り返してはならない過去であるので、繰り返さないために忘れてはならない。多くの人たちとともに生きる私たちは、この生活を共有する者同士は、情報を共有することが必要だ。美しい日本だけを思い浮かべていることはできない。忘れていはいけない震災の3月11日。それだけではない、東京大空襲の3月10日も。忘れずに皆で生き続けよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO68088570R10C14A3MM8000/