テンプルちゃん、享年85歳。20世紀がまた少し遠ざかる

(日経「春秋」2014/2/15付) テンプル人形が七五三には彼女にあやかった髪形が大流行、晴れ着までテンプル風が登場するほどのフィーバーぶりだった(秋山正美著「少女たちの昭和史」)。名子役、日本での人気は特にすさまじく、昭和10年代前半にその名を知らぬ少女は皆無だったといわれる。昭和戦前期の日本に、すでに米国文化がしっかり浸透していたからこそのブームであったろう。日米開戦の前年までアメリカ映画は大量に封切られていた。それがあっという間に世は反米一色に染め変えられ、「鬼畜米英」など戦争というものは怖い。押し入れの奥深くの、たくさんのテンプル人形が空襲で焼けたに違いない。当のテンプルさんは戦後まもなく映画界を離れ、外交官として第二の人生を歩んだ。国連代表やアフリカのガーナ大使を務め、チェコスロバキア大使だったときには「ビロード革命」に立ち会うことになる。人に歴史あり、歴史のなかに人ありを深く感じさせる軌跡というほかない。享年85歳。20世紀がまた少し遠ざかる。
(JN) 我が国は米国の黒船とともに文明開化が始まり、それ以来常に米国の影響を受けてきた。政治・経済であり文化であり、その力強さと華やかさを抜くことができなかった。テンプルちゃんの時代は正に米国が世界をリードしていく時代でもあった。いま米国は世界一の政治・経済力を保っているが圧倒的ではなくなったが、それでも日本にとってはあこがれの国でも憎くき国でもありある。テンプルちゃんが過ごしたあの激動の苦しい悲しい時代はもう迎えないように、ご冥福を祈りともに平和を祈りたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO66880890V10C14A2MM8000/